親鸞会 滋賀

蓮如上人と滋賀

 蓮如上人は、親鸞聖人の後、約200年後に現れられた方で、一代で聖人のみ教えを全国に広められた方です。

 まず最初に布教の力を注がれたのが滋賀県でした。

<金森の道西>

 道西は金森(守山市金森町)の生まれで、名を川那辺弥七といった。弥七は18歳頃から仏法の道に入り、親鸞聖人の本当のみ教えを探し求めていた。

 ある日、本願寺へ参詣した道西は、部屋住み時代の蓮如上人(35歳頃)にお会いして法話を聞く機会を得た。

「このお方こそ、親鸞聖人のみ教えを正しく伝えてくださる方だ」と確信した弥七は、蓮如上人のお弟子になり、早速、自分の故郷、金森へ上人をお招きしてご法筵を開始したのである。

 金森での反響も大であった。蓮如上人のご法話を聴聞した人々はみな、真実の教えに驚嘆したのである。

 数年間で、金森から周辺地域へ真実が拡大し、赤野井、荒見、山賀、手原など、次々に本願寺の道場(寺)が生まれている。

<堅田の法住>

 道西と並んで、蓮如上人の片腕と称されたお弟子が、堅田(大津市堅田)の法住である。

 法住が17歳のころ、病気で寝ている時に、次のような夢を見たという。

 薄い墨染めの衣をまとった貴い僧が2人、法住の家に入ってこられ、「お前は、何て愚かなのか」と言われながら羽ぼうきで仏壇を掃除された。すると、いろいろな虫が、はらはらと落ちてきた……。

 夢の内容を語ると、母は、「その2人の貴い僧こそ、法然上人と親鸞聖人に違いない。父が禅宗に改宗したのを、両聖人さまが悲しく思われたのでしょう。病気が治ったら、必ず、本願寺へ参詣しなさい」と諭した。

 法住が、本当の親鸞聖人のみ教えに出会ったのは、それから30数年後のことであった。蓮如上人(35歳)が、堅田へ布教に赴かれたのである。法住は54歳になっていた。探し求めた真実を知った喜びは限りなく、すぐに上人のお弟子になっている。

 堅田門徒を率いる法住は、蓮如上人の手足として活躍し、急速に、法輪が拡大していった。

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 ※写真提供:かもめ工房


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